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さ
ん ふ り 横 丁 の あ ゆ み |
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寛永2年、外ヶ浜の一寒村に過ぎなかった「善知鳥村」から「あおもり」が始まり、津軽二代藩主真枚公の名を受けた森山弥七郎が港を開き、町づくりを行った。
このとき、現在の本町五丁目、当時は「米町」と称していた所に、漁船の目標になっていた小高い森があって、いつも青々と生い茂り、古来からこの森が青森と呼ばれていたことから、これに因み「青森村」と呼ばれるようになったと語り継がれている。
その後、時代は明治へと移り、明治4年「廃藩置県」制度により、県庁が弘前から青森に移り「青森県」となり県都「青森」が誕生した。以来、青函定期航路開設、東北本線の開通するなど、交通の要衝として発展を遂げる中、同31年市制を施行し、人口2万8千人の青森市が誕生し、平成10年4月1日、姿勢100周年を迎え、新たな第一歩を踏み出したことは記憶に新しい。
その間、奥羽本線の一部開通、青函連絡船の就航、青森歩兵五連隊の八甲田雪中行軍遭難、安方町から発生した青森大火等の慶びや悲しい歴史を経て今日に至ったのである。
青森の歓楽街は「本町」と呼ばれるようになったのは、県庁が置かれて以来で、その近くに奥座敷存在で、旅人や船員の癒しの場所であったのが「はままち或ははまちょう」と称され、当時は役人や商談の高級接待場所として栄え、多くの人々が生活を営み、楽しんだものであったと語る人が今でも多くいる。
当社では、その由緒ある土地を所有する縁があって、その土地活用を模索していたが、全国各地の成功例に鑑み、そこに「青森屋台村」を展開、構築し、青森の「食」を扱う屋台を配して、食プランを提案しようと考えた。平成15年2月に青森屋台村の構想を立ち上げ、平成17年1月に地鎮祭を行い建築に至り、平成17年4月25日完成に至った。
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| 平成15年2月 |
青森屋台村構想発足 |
| 平成17年1月24日 |
地鎮祭
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| 平成17年1月 |
「さんふり横丁」着工
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| 平成17年3月16日 |
ホームページにて予告編第一弾を公開 予告編第一弾を見る |
| 平成17年4月18日 |
ホームページにて予告編第二弾を公開 予告編第二弾を見る |
| 平成17年4月25日 |
屋台村完成
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| 平成17年4月27日 |
「さんふり横丁」プレオープン!
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| 平成17年5月1日 |
「さんふり横丁」グランドオープン!
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